
フランス革命後において、有名な人物
ナポレオン
歴史的に、彼が残した数々の功績は現在において非常に有名です。
ナポレオンの考え方は、リーダーのありべき姿など多くを学ぶ事ができるでしょう。
そんなナポレオンについて見ていきたいと思います。
どうぞ最後までご覧ください。
ナポレオンとは?
名前:ナポレオン・ボナパルト
生誕:1769年8月15日
死没:1821年5月5日
出身地:フランス、コルシカ島
・フランス革命後のフランスをフランスを統一
フランス革命とは
フランスは絶対王政であった為、18世紀に市民活動により起こした革命。
ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑でも有名なブルボン王朝の転覆により、絶対王政から共和制に変わります。
最終的には当時軍人だったナポレオンのクーデターにより決定的なものになり、フランス革命に置いてナポレオンは英雄とされました。
ナポレオンの年代別
1769年(0歳):フランス領のコルシカ島に生まれます。
1784年(15歳):パリ士官学校に入学(異例の飛び級)。
・卒業まで4年かかる所を、11カ月で卒業。
1793年(24歳):砲兵士官として入隊。
1795年(26歳):パリ・ヴァンデミエールの反乱を鎮圧させ国内軍司令官になる。
1796年(27歳):貴族女性のジョゼフィーヌと結婚。
・彼女はナポレオンと共にクーデターのメンバーで、旧政府のリーダー格であったポール・バラスの愛人でした。
1798年(29歳):エジプト遠征に勝利。
・イギリスに勝利する為に、イギリスとインドとの貿易地点のエジプトを陥落。
1799年(30歳):国内でクーデターをおこし新政府樹立
1804年(35歳):民衆の自由と平等を重んじる、ナポレオン法典発表。国内投票によりフランス皇帝に就任。
・王や貴族の独占体制である絶対王政でしたが、どんな身分の民衆も平等に、自由に生きていける世の中にする為に、ナポレオン法典をつくりました。
1805年(36歳):アウヅテルリッツの戦いで、オーストリア、ロシアに勝利。
・勝利を記念してパリの凱旋門を建てる。現在ではパリの観光名所となっています。
1807年(38歳):スフェーデン以外のヨーロッパを制覇。
1808年(39歳):ジョゼフィーヌと離婚、オーストラリア皇女マリ・ルイーズと再婚。
・ジョゼフィーヌとの子供が授からない状況。その後ルイーズとの間に子供を授かります。
1812年(43歳):ロシア遠征で完敗し、兵士は1%しか残らず。
1814年(45歳):ヨーロッパの各国に攻め込まれ、パリ陥落。エルバ島に島流し。
1815年(46歳):エルバ島脱出し、フランス皇帝として返り咲く。
1815年(46歳):イギリス軍に敗れ、天下の幕を閉じる。
1821年(51歳):南太平洋の孤島(セントヘレナ島)に監禁の末病死。
パリの凱旋門
ナポレオンが、アウヅテルリッツの戦いで、オーストリア、ロシアに勝利した記念に造った
パリのエトワール凱旋門は、完成までに30年もの月日を要したためにナポレオンは完成を見ることなく亡くなっています。
今では凱旋門は、フランスのパリにおいて観光名所となっています。
ナポレオン名言集
・じっくり考えろ。しかし行動する時が来たなら、考えるのもやめて、進め
・戦術とは、一点に全てをふるうことである
・リーダーとは「希望を配る人」
・勝利は、わが迅速果敢な行動にあり
・勝利は、もっとも忍耐強い人にもたらされる
・重大な状況において、ほんのちょっとした事が、最も大きな出来事を常に決定する
・決して落胆しない事。それが将軍としての第一の素質である。
・最も大きな危険は、勝利の瞬間にある
・我背の辞書に、不可能という文字はない
・過ぎたことで心を煩わせるな
まとめ
いかがでしたでしょうか?
ナポレオンの生き様が垣間見えたのではないでしょうか。
貧しい家庭で産まれたナポレオンが、後に偉大な指導者なれたのは、リーダーに必要な素質を兼ね備えていあたからでしょう。
そしてナポレオンの思考と行動力ついて非常に勉強になりますね。