マチュピチュをご存知でしょうか?
宮崎駿監督のアニメ映画
天空の城ラピュタのような遺跡であるマチュピチュ。
世界遺産の中で、マチュピチュはとても非現実的な場所です。
その世界遺産に登録されている古代遺跡マチュピチュについて、詳しく知って頂きたいと思います。
「天空の城ラピュタ」の中にある呪文をみなさん一緒に口ずさみましょう!!
せ~の!!!!
♪リーテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリール♪
♪我を助けよ・光を甦れ♪
それでは、早速詳しく見ていきましょう。
マチュピチュとは?
1911年7月24日に、アメリカの冒険家ハイラム・ビンガムによって発見されています。
今では、1年中世界から多くの観光客が訪れています。
ペルーの標高2,430mのアンデス山脈にある、インカ帝国の都市遺跡をマチュピチュといいます。
先住民であるケチュア語で「老いた岬」という意味です。
またインカ帝国は文字を持たない文化だった為、資料などは残っていない状況です。
インカ帝国は、最盛期にはコロンビアからチリ中部まで支配する巨大国家になっていました。
マチュピチュを造ったのは、9代目のインカ帝国の皇帝「パチュクティ」と言われています。
マチュピチュの人口は750人で完全に自給自足の生活。
マチュピチュ発見当初の様子
マチュピチュを発見したビンガム氏は、遺跡付近の洞窟から173体ものミイラを発掘してます。
そのうち150体は女性のミイラでした。
また遺跡の様子を見る限り、一般の人々の街ではなく王や貴族などの特別な場所であったようです。
理由としては、インカ帝国は太陽神を崇拝している事により、150体程の女性のミイラから、太陽神の神官アクリャの宗教施設だった事から推測できます。
発見時には遺跡の状態は綺麗に保たれていました。
理由として、雨の多いこの土地で、100本以上の水路が雨水を流していた事が、最大の要因となっています。
マチュピチュ崩壊理由
インカ帝国は、1533年にスペインに滅ぼされています。
その後、1540年にはマチュピチュを捨て去ってしまった為、スペイン人にもみつからなかった。
もともとインカ帝国は、周辺の国々と何回も戦争をして、征服によって領土を広げていった為に、インカ帝国の領土に組み込まれた人達は、必ずしも「インカ帝国」に対して忠誠心を持っているとは言えない状況でした。
しかも、スペイン人が攻めてくる直前には「アタワルパ」、「ワスカル」という2人の王族の間で皇帝をめぐる争いがあり、国を2分する内戦があった事により、国中が混乱してしまっていた。
その後、アタワルパが皇帝に即位した後全ての指揮命令は皇帝が行うようにします。
また、各責任者に指示などを伝えていく仕組みを取りました。
結果スペイン人に不意を突かれてしまい、指揮系統であった政府が攻撃をうけてしまい皇帝が人質に取られたことにより完全に指揮系統は事実上崩壊していた為に、インカ帝国はあっさりと崩壊してしまいました。
まとめ
空中都市マチュピチについていかがでしたでしょうか?
今もなお多くの観光客を魅了している、インカ帝国「古代遺跡マチュピチュ」について知識はついたのではないでしょうか?
歴史的な建造物などの崩壊理由は、自然災害も理由の一つとしてあります。
いつの時代も争いが絶えないと感じます。
その平和とかけ離れた歴史上、もっとも残虐な事をした人物がいます。
ドイツの独裁者、アドルフ・ヒトラーですが詳しく知りたい方は、独裁者アドルフ・ヒトラーとはどんな人物?についてどうぞご覧ください。
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