2004年から千円札の肖像画に選ばれた
野口英世
日本の紙幣で肖像画に選ばれるという事は、歴史的な偉業を成し遂げた人と言っても過言ではないでしょう。
ノーベル賞の候補にもなっており、細菌学者の中で最も有名な人物。
そんな「野口英世」とはいったいどんな人物なのでしょうか?
野口英世プロフィール
名前 :野口英世(元は野口清作)
生誕 :1876年11月9日
死没 :1928年5月21日 (享年53歳)
出身地:福島県三ツ和村三城潟
(現在の福島県猪苗代町)
研究 :細菌学者
1878年、英世が当時3歳の時、左手に大やけどを負ってします。
その影響により左手の指は開かない状態になってしまいます。
その後高等小学校在学中、友人や恩師の支援によって左手の手術を行い、開かなかった指を切り離す事に成功をし、少しだけ動かせるようになりました。
その結果、医学の素晴らしさに心を打たれ
医師を目指すようになります。
【覚醒】野口英世
1869年に、医術開業試験を受験の為に上京する。
試験は前期・後期がありますが、当時試験をパスするのには10年以上かかると言われていましたが
なんと
英世は1年あまりで試験に合格し医師の資格を取得しています。
数々の研究
1901年(26歳)にはペンシルベニア大学・フレキスナー博士の助手となり毒蛇の研究をする。
その後、デンマークに留学して国立血清学研究所・マッセン博士のもとで細菌学を学ぶようになります。
梅毒スピロヘーターの研究が世界的に認められてノーベル生理学・医学賞の候補になります。
野口英世の最期
主に南アフリカや中南米で蚊に刺される事で、黄熱ウイルスに感染し発症する黄熱病の研究をします。
黄熱病は、現在でも20%~50%の死亡率がある程の恐ろしい病気です。
症状は急激な発熱や、頭痛、嘔吐、などインフルエンザニ初期の症状は似ています。
3日~4日で自然治癒する場合もありますが。重症の場合は、肝不全や出血症状などがあらわれます。
そして研究中に英世本人が黄熱病にかかってしまい、現在のガーナで命を落としてしまいます。
まとめ
野口英世についていかがでしたでしょう?
50代という若さでこの世を去ってしまいましたが、黄熱病に感染しなければ数々の偉業を成し遂げていたと思うと無念ですね。
私達は風邪をひいたり病気にかかったら、当たり前のように病院にいって治していただいています。
数々の研究者が研究を行い、医学の進歩を飛躍させてくれたお陰です。
私達が、今現在の生活ができる事は、こういった歴史的な研究をしてくれた人がいたからこそです。
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