名門イエール大学で23年連続の人気講義「死」とは何か?について解説
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どうもこんにちは

本記事はタイトルにも書いている通り「」ついてですが、これは死ぬとういう事はどうなる事なのかをシェリー・ケーガン先生が語った内容を簡単に分かり易く解説していきます。

勿論ハッピーなテーマではありませんが、ただ死について考える事って非常に大事な事です。

最後まで読んでいあただければ、これまでの「死」という考え方が大きく変わると思いますので是非最後までお付き合いください!

それでは早速詳しく見て行きましょう!

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名門イエール大学で23年連続の人気講義「死」とは何か?について解説

「死」について考える事が大事な理由として、何を取り組みに対しても目指すべきゴール地点から逆算して段取りを考える事が大事だからです。

例えば、1億円貯める・出世して部長になる・子供は3人欲しいなどといった、そのゴールに向けて「今何をするべきなのか?」を考える事が重要です。

これは誰もが分かっている事かもしれません。

そして、人生のゴール設定は人それぞれなんですが1つだけ全人類の共通のゴールがあります。

それが「」です。

縁起でもない事をいってしまっていますが、この記事を書いてる自分もこの記事を見てくださっている人も必ず「死」に直面しますし、これは覆らない事実です。

しかし、全員が直面する課題にも関わらず「死」についてガチンコで考えている人って中々いないのが現状です。

凄く大事な事なはずなのに、何で考えないかというとシンプルに「怖い」からに他なりません。

死ぬなんて口に出す事も怖いですからね。

でも、「死」を漠然と怖がるのはもったいないです。

というのも松下幸之助ケネディ孫正義といったこういう大きな成功を収めた偉人達は、実はもう一歩近づいていたら死を体験していた人が多かったりしています。

死に近づく事、死にガチンコで向き合う事って実はとてつもないパワーを秘めているのではないかと思わざるおえません。

また「死」は恐れる存在なんじゃなくて、仲間にできる存在なのではないかという事です。

それではこの「」について更に深掘りしていきたいと思います。

「死」は怖いものではない

死はこわいものではにという事ですが、そういっても「死」はめちゃくちゃ怖いですよね。

そこで何で怖いかというと、死が怖い要因として「死」が未知のものだからであり、自分が死んだ後の世界がいったいどんな感じになるのかわからないからです。

しかし、シェリー先生によれば「死」は全然未知のものでもないよと言っています。

シェリー先生によれば死なんて何もないという事であり、世界なんてほぼ何も変わらないという事です。

誰もが知っている著名人の死でも、世の中は何事もなく進んでいくようになるという事です。

例えば、あなたが会社で休んだとしても会社はなんとかまわっていて、出席するはずのミーティングは他のメンバーだけで解決されますよね。

仮にあなたが死んだとしても、世界はほんのちょっと違和感を残していて俯瞰しながら見ると何も変わらず周っていくわけです。

これがまさに死後の世界なんです。

まあわからなくはないと思いますが、そもそもあなた自身がどうなってしまうのかが一番気になっていると思います。

これに対してシェリー先生は断言しています。

まず魂とかはないと言っていますが、確かに人間には他の動物よりも色々な機能がありますが、だからといって死んだ後も人格だけが魂として存在するのは考えにくいという事です。

人格や思考に関してはとにかく「になるだけで、分かり易く言えば夢を見ずに眠っている状態の事です。

人格が消えるのが怖いという事に対しては、あなたはお母さんのお腹にいた胎児の時って人格も何もないけれど怖い事ありましたか?という事です。

もっと大きくいうと、この地球上の歴史で言えば私達が人格をもって生活しているのは一瞬で、この世に人格が存在していない事の方がデフォルトだと言います。

シェリー先生の「死」の見解としては、私達は経験済みであり未知のものなんかではないという事です。

一貫の終わりというよりも、お母さんのお腹にいる胎児の時期小学生の時期思春期の時期というのと一緒で人格が存在しないという「ただの時期」なので全然怖がる必要ないと言う事です。

ここまでの話を聞いても全然死は怖いよと思いますよね。

次に何故怖いと思ってしまうのかを見て行きましょう!

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「死」が未知のものではないと分かっても何故怖いのか?

死が怖い理由として剥奪説であれば説明できまますが、剥奪とは奪い取られるという意味です。

要は、なんだかんだ死ぬのが怖いよと思ってしまうのは、死ななかったらもっと良い人生があったはずなのにその未来の人生が奪われてしまうと思うから怖いという事です。

逆に100歳近くで「別にいつ死んでもいいよ」と言っている婆ちゃん爺ちゃんいますよね。

そういった人は、もう人生でやる事やりきったから死んだとしても、もう奪われる物が何もなく剥奪説に当てはまらないから死が怖くなくなるわけです。

死ぬこと自体は怖いものではないのですが、これからまだやりたい事が沢山あると奪われるものが多くて「死」が恐ろしいものに感じてしまう事です。

剥奪説からわかる事がもう一つの事

人間は、これからの未来が楽しみだともっと長く生きたくなる。

その一方でこれからの未来がずっと悪くなり続けると人間は死にたくなります。

この先、「一生もう良い事は起こらない!この考えこそが自殺を生んでいるという事です。

自殺は常に許されないと言いきれない理由

この世の中には残念ながら人生が悪くなり続ける人もいます。

例えば、末期の病気にかかって全く治る見込みがなく痛みに耐える為だけに生きる人もいます。

そういう状態の人に対して生きているだけで素晴らしいとは言い切れません。

このように道徳的観点を無視した場合に、死んだほうがましという状況は起こりうるかもしれません。

だからこそ、この世界で起きている大半の自殺はおかしいという事です。

例えば、恋人にフラれた大学受験に落ちた就職活動に失敗リストラとか確かにショッキングな出来事かもしれませんが、人生がずっと悪くなり続ける証明にはなりません。

末期の病気とは全くレベルが違います!

しかし、このような状況に追い込まれるとグッと視野が狭くなってこれからの人生がずっと悪くなり続けると勘違いしてしまいます。

この勘違いが、多くの自殺を引き起こして失われるべきじゃない命が消え続けています。

またミスや事件が起こると全て終わったような気になる事ってありますが、ただ思い返せばたいした事ではなかった事って結構あります。

あまり機会はないと思いますが仮に死にたいぐらい追い込まれている人から相談されたら、道徳的にとかルール的にとか「死ぬのはだめ」とか言わないようにしましょう。

今は辛いかもしれないけれど未来は分からないよと「未来の可能性に気づかせてあげる事」をアドバイスする立場の人はするべき事なのかもしれません。

まとめ

名門イエール大学で23年連続の人気講義「死」とは何か?についていかがでしたでしょうか。

良く成功者の言葉で、1日1日を最後の日だと思って後悔しないように大切に生活するべきと聞きますよね。

あながち間違っていないのかもしれません。

限りある人生だからこそ「死」を恐れて生活するのではなく、「死」を受け入れて一瞬一瞬を大切にすごさなければいけないという事ですね。

あなたは「」について何を感じましたか?

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