【1万円札】福沢諭吉いったい何者?
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福沢諭吉

日本人なら必ず知っている人物でしょう!

なんといっても、諭吉がたくさん持っている人は大金持ちですから(笑)

日本の紙幣である福沢諭吉が、1万円札の顔である人物なのは誰でもご存知でしょう。

いったい何をした人物なのか、実は知っている人は多くはないです。

今回「福沢諭吉」がどんな人物か見ていきましょう!!!!

出典:福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった

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福沢諭吉とは?

明治時代の人物

名前:福沢諭吉
出身地:大阪
生誕:1835年1月10日
死没:1901年2月3日(66歳)

福沢諭吉は、江戸の末期から明治維新の時代の人物であり、坂本竜馬と同年代です。

また慶應義塾大学」の創始者です。

「義塾」とは社会に貢献する人材を育成するという意味が込められているそうです。

・日本の文明開化の立役者

・最も有名な事は、1872年(37歳)に「学問のすゝめ」初編発行。

この「学問のすゝめ」で人生は学ぶために生きるもの、そして学ぶことの大切さを伝えています。

諭吉の生い立ち

中津藩(現在の大分県中津市)の下級武士であった、福沢百助とお順の二男三女の末っ子として生まれております。

しかしわずか諭吉が1歳の時に、父である百助(当時44歳)を亡くしております。

当時身分制度により苦労していたそうです。

その影響により、諭吉はのちに有名な言葉を残します。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

まさにこの言葉は諭吉の人格によるといいっていいでしょう。

出典:福沢諭吉(Wikipedia)

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福沢諭吉が海外へ

当時の人々にとって、海外にいく事は非常に珍しかった。

しかし、諭吉は幕府の船・咸臨丸(かんりんまる)に乗って太平洋を横断して、アメリカのサンフランシスコに出向き、海外の文化などを日本に持ち帰ります。

そして、衣食住を取り入れて日本に定着させました。

今の日本の衣食住があるのは、福沢諭吉のお陰といっても過言ではありません。

福沢諭吉が影響を与えた主な事

①保険会社。
②銀行。
③天気予報

保険会社

今では当たり前になっている保険会社ですが、当時日本では災難があった時は、血族間でなんとかするといった仕組みでしたが、西洋からの仕組みを取り入れた事によって、現代の保険会社が存在しています。

銀行

今の日本銀行(中央銀行)の設立に大きく貢献しました。

会社の経理担当はご存知だと思いますが、腹式簿記は「福沢諭吉」が日本に伝えています。

帳簿の中にある「貸方・借方」の読み方は、諭吉の翻訳による事です。

天気予報

初めて新聞に天気予報を乗せました。

その時に「お天気マーク」の元を作り上げています。

まとめ

私達が目にしている1万円札の人物「福沢諭吉」について、いかがでしたでしょうか?

諭吉が学問に励みそして、当時の日本に影響を与えた事によって今の私たちの暮らしがあると思います。

もし福沢諭吉がいなかったら。

私たちは・・・・

瓦の家で暮らし。そしてハンバーガーや、ステーキといった料理を知らずに、毎日が日本食の食文化しかなかったのかもしれません。

一万円札を使用する時は、常に感謝の気持ちを忘れないようにしたいですね。

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